家系研究協議会 平成16年度夏の例会報告

日時 2004年8月1日(日)  13:00~16:00
場所 大阪市立アピオ大阪 207号
当日の参加者は22名でした。

講演 『松前藩 松前・蠣崎一族とその系譜』

講師 窪田 剛氏(本会会員 北海道在住)

概要(私が覚えている範囲で簡単に紹介)

1.松前氏の出自

松前氏の先祖武田信廣の出自は『新羅之記録』という史料に若狭武田氏支流とあるが疑問も多い。ちなみに家紋は当然ながら丸に武田菱。
武田信廣は、コシャマインとの戦いで活躍し、上ノ国館主の蠣崎季繁の養子となり蠣崎氏を名乗り、5代目慶廣に時に「松前」氏を名乗り松前藩が成立し、以後幕末まで続く。

 2.松前藩家老の蠣崎氏

松前宗家の分家は蠣崎氏を名乗り、家老となった家が数家ある。
宗家では藩主の若死が多かったため慶廣の三弟正廣を祖とする蠣崎本家、九弟守廣を祖とする主殿流の二つの家老家の力が強かったが、17世紀後半から18世紀の初めの40年間で6人の家老が変死するという事態も発生し、主殿流蠣崎家は一時家名断絶状態となった。

 3.その他松前藩の蠣崎氏

異色の人物として、慶廣七弟吉廣の子次廣を祖とする主馬流蠣崎家6代目廣年は、家老としではなく、画家蠣崎波響として有名。

 4.松前藩のその他松前氏

藩祖信廣が活躍していた頃に蝦夷地で勢力のあった十二館主のうち、蠣崎氏は松前宗家となり、松前藩成立時にその他は他所に行ったか、松前氏の家臣となり、そのうちの河野氏・
村上氏はのちに藩主松前氏から養子をもらいうけ、最終的には松前氏を名乗ることになった。
この他にも慶廣の継室となった斎藤氏の兄の家が、後に藩主家より養子をもらい、松前氏を名乗ったものがあります。幕末に家老をつとめた松前勘解由崇効は、この斎藤系松前氏です。

 5.幕臣松前氏

四代藩主氏廣の弟泰廣は幕臣となり、寛文年間に起こったシャクシャインの反乱の際には、幼少の藩主に代わって松前藩の軍を率い鎮圧した。
その他、幕臣の松前氏は6家がある。

 6.仙台藩の松前氏

慶廣の八男松前安廣は仙台藩士となり、重臣片倉小十郎重長の娘を妻にし、その間に生まれた景長は片倉家を継いだりして、深い姻戚関係を持ち、上席の藩士として続いた。

講演中の窪田剛氏

講演中の様子

今回の講演では、レジュメ8枚の他、松前・蠣崎一族の系譜集として資料16枚を参加者に配布し説明を聞いたが、貴重な資料となった。
また、窪田氏はKUBOの家系城郭研究所というホームページを運営され、その閲覧カウンターは本ホームページをはるかにしのぐ 17万カウントを超えています。(リンクしてありますのでご参照下さい)
そのホームページを見た慶廣の十弟員廣系蠣崎家のご子孫の方から連絡があり、家に伝わる系図を見せてもらったそうで、ご子孫宅では誰も自分の家の家系には興味がないらしく、幸運であった。

今回配布のレジュメ及び添付資料の『松前藩 松前・蠣崎一族の系譜集』を当日参加できなかった会員の方で希望の方は事務局まで連絡下さい。

 

事務局からの連絡

(1) 今回遠方より市川香舟先生が参加、本会会誌36号 に掲載の「佐藤さん・鈴木さんの歌」が評判だったそうで、近く正式な歌となるとのこと。
また、来年初めには『ビジネスに活用できる苗字をさがす本』を刊行予定だそうです。

市川香舟先生

(2)『週間女性セブン』に「名字の不思議」という記事が出ていた記事の監修は『名字の謎がわかる本』などの著書で知られる森岡浩氏、各都道府県の名字ランキングベスト5が書かれてある。
希望者にコピーを配布。

(3)会誌『家系研究』第38号を10月刊行予定
原稿は9月10日までに事務局まで提出ください。

(4)会報の原稿募集
発行は原則として年4回の例会日になりますので下記のとおりお願いします。
2004年10月分の締め切り  8月末日
2005年 1月分の締め切り 12月末日
内容は
地域情報の提供
質問コーナー
資料の紹介
運営・企画への提言
など何でも結構です。
会誌の原稿もよろしくお願いいたします。

会誌・会報の原稿の送り先、会誌のバックナンバー希望者は事務局長の島野穣 氏まで

閉会挨拶及び記念撮影

(報告者:馬原浩一)