家系研究協議会 平成16年度秋の例会報告

日時 2004年10月24日(日)  13:00~16:00
場所 大阪市立アピオ大阪 302号
当日の参加者は33名でした。

講演 『明治維新の魁け 天誅組の人々』

講師 入野 清氏(天誅組研究家)

概要(私が覚えている範囲で簡単に紹介)

1.黒船来航

 ペリーがなぜこの時期に日本に来たのか、最近の教育では何も説明がない。もっと世界視野を持った説明が必要だ。
アメリカが日本との通商を強く求めたのは、イギリスとの貿易の対抗上、東南アジア貿易のために短い航路を開拓する必要があり、日本を中継基地としたかったためだ。

2.幕府の外交

 日米和親条約調印後、日米通商条約を迫られた時の老中が、天皇・朝廷の同意を得られず失脚代わって大老となった井伊直弼により幕府の独断という形で通商条約を締結し、引き続き反対派を安政の大獄で弾圧するが、桜田門外の変で暗殺される。

3.吉村虎太郎の脱藩

 激動する時局に土佐の庄屋だった吉村虎太郎は土佐勤皇党に入り、伊予経由で脱藩し、薩摩藩の急進派たちと京で攘夷活動をするはずだったが、到着前に寺田屋騒動が勃発し、薩摩藩経由で土佐藩に引き渡され収監される。約9ヶ月の入牢の後、釈放され藩に暇を提出して再び出藩し、讃岐経由で京に向かう。その際に、中山忠光、松本奎堂、藤本鉄石らと出会うことになる。

4.攘夷決行

 幕府が攘夷決行を約束した日に長州藩はアメリカ商船を襲撃し、それが原因で下関戦争となり、薩摩でも生麦事件が原因で薩英戦争となり、両藩は外国との戦力の差を思い知り、攘夷から倒幕へと方針転換することになる。

5.天誅組の結成

 建策五事をもとに孝明天皇が攘夷祈願のための大和行幸が決まり、その露払いとして天誅組が結成され、当初参加者は39人であったが、五条代官所襲撃の際は60人になっていたが、参加者は武士だけでなく町人、医者なども含まれており、身分の枠を超えた編成となり、これが後の奇兵隊などにも踏襲されていった。
活動期間は40日間であったが、ほぼ同時期にあった生野義挙がたった一日で鎮圧されたことを考えると、1年間続いた天狗党の活動に次ぐ長期活動であったということで、吉村らの思想が広く受け入れられていたと考えて良いだろう。

6.結び

 最近の出生率は全国平均1.29と年々減少し、このままではこの国の国力は低下の一途である。
また親の身勝手による児童虐待が増えてきている現状を見るにつけ、かつて国作りに燃え、自らの命を明るく開かれた国の誕生にささげた若い志士たちがいたことを忘れないで欲しい。

講演中の入野 清先生

記念撮影

事務局からの連絡

(1)今回講演の入野清先生著『炎は消えず ―夜明け前の志士達の足跡を訪ねて―』の販売

(2)会誌『家系研究』第38号を会員参加者に配布、一般参加者へも販売。
参加できなかった方には後日郵送。

(3)会報の原稿募集
発行は原則として年4回の例会日になりますので下記のとおりお願いします。
2005年1月分の締め切り 12月末日
2005年4月分の締め切り  3月末日
内容は
地域情報の提供
質問コーナー
資料の紹介
運営・企画への提言
など何でも結構です。
会誌の原稿もよろしくお願いいたします。

会誌・会報の原稿の送り先、会誌のバックナンバー希望者は事務局長の島野穣 氏まで

閉会挨拶及び記念撮影

(報告者:馬原浩一)