家系研究協議会 平成15年度秋の例会報告

日時 2003年10月26日(日)  13:00~16:00
場所 大阪市立アピオ大阪 307号
当日の参加者は約30名くらいでした。今回は一般の方が多く、数えきれませんでした汗)。

講演 『有岡城籠城時の荒木摂津守村重と黒田官兵衛孝高』

講師 豊田 正義氏(荒木村重研究会会員)
7年前に退職され、5年前より有岡城址においてボランティアで説明員をされている。

講演の概要(私が覚えている範囲で簡単に紹介)
有岡城(伊丹城)について

      • もともと伊丹城と言っていたものを荒木村重が有岡城と改名した。
      • 現在では遺構はほとんど残っていない。テニスコート横に「城跡」が若干残っている程度。
        しかし、当時は四方要害に阻まれた堅固な城で、信長の総攻撃にも長期間耐えられた。
      • 安土城より50年も前に天守閣があったが、永正の大乱で炎上したらしい。『細川両家記』
      • 有岡城の惣構えは先進的なもので、のちに大坂城・江戸城の参考になった。
      • 黒田官兵衛が幽閉された場所は不明であるが、侍屋敷が並んでいたあたりか?

荒木村重と黒田官兵衛の仲について

謀反発覚の際に、旧知の間ということで秀吉に属していた黒田官兵衛が説得にあたるが、両者の接点はどこにあったのか?(片や摂津の国人、方や播磨の豪族の家臣)
⇒実は、秀吉が播磨攻めの総大将になる前は、播磨の豪族との連絡係は荒木村重が担当していた。そのため播磨御着城の小寺氏の家老であった黒田官兵衛(当時小寺官兵衛)とも旧知の仲であった。(なるほど、なるほど!)

荒木村重への濡れ衣?

    • 有岡城を密かに逃れ、尼崎城にいた荒木村重は、一家惨殺を黙認して一人生き残ったとんでもない武将であるという印象があるが、実は尼崎で体制の建て直しを図っていたようだ。
    • 村重は尼崎城で有岡城と常に連絡を取っていた。また毛利方、本願寺方とも連絡を取り合っていた。有岡城から全面降伏してもよいかの依頼があったが、毛利・本願寺側より否の返事があり、しかたなく反抗を続けたため、信長の怒りを買い、大量殺戮の原因となった。

黒田官兵衛について

    • 有名な話であるが、本能寺の変直後に秀吉に中国大返しを提案したのは官兵衛である。
    • 黒田官兵衛の剃髪の真相は、文禄の役の際に許可なく朝鮮より帰り(要するに敵前逃亡)、秀吉の怒りを買い、怒りを静めるために出家した。

豊田氏の応援団も多数入場され、久々に満員御礼でした。中には豊田氏のお孫さんで小学生の兄妹も一生懸命聞かれていたのには感心しました。あまりの充実振りに写真を撮るのを忘れるほど(汗)でした。かろうじて一枚だけ撮っていましたのがせめてもの慰み(すみません)。

講演中の豊田正義氏

事務局からの連絡

(1)会誌『家系研究』第36号は10月発行の予定であるが、ちょっと遅れている。
第37号は来年4月予定ですので、原稿は2月末日まで受け付けております。
会員の皆さん振るって御参画ください。

(2)当会のシンボルマークを募集していますが、応募者が少ないので12月10日まで延期しますので、奮って応募願います。
採用されたシンボルマークのデザイン者より1名に採用賞が贈られます。
投票 全会員により平成16年1月頃
発表 平成16年2月頃
応募先 家系研究協議会事務局
〒567-0842
大阪府茨木市五十鈴町1-26 島野穰  方
(3)『歴史街道』11月号の「ルポ・家系図をつくる人々」に本会会員岸本良信さん(北海道)が出ていました。今後もこのレポート(レポーターは平野勝巳氏)が続きますよう皆さんも応援しましょう。

(4)荒木村重研究会より
9月に刊行されました会報「村重」第三号を希望者に頒布します。
内容は下記の通りです。

          A5版 127ページ
日本の城の歴史を訪ねて(二)
古代の山城(二)  鬼(キ)ノ城(岡山県総社市)
廣田康夫
村重関係史料「藩譜便覧」 石川道子
荒木村重反逆の前後を読み解く
「立入左京亮宗継入道隆佐記」を中心に
森本啓一
荒木村重と尼崎 -その三- 「塚口寺内町」 田中 実
荒木村重謀反の事 荒木登志夫
村重の生き方に学ぶ その二 荒木光和
荒木村重五世孫荒木適翁とその周辺 島野 穣
『信長公記』の著者太田牛一の子孫の墓と
伊丹とのかかわりについて
益尾宏之
『信長公記』「陰徳太平記」『武功夜話』などから見る
有岡城に於ける織田信長と荒木村重の攻防一年
豊田正義
荒木村重研究会見学旅行記二題 小池栄之輔
初盆を迎えて 瓦田茂子
あれから一年 石川道子

(5)会報の原稿募集
発行は原則として年4回の例会日になりますので下記のとおりお願いします。
2004年 1月分の締め切り 11月末日
2004年 4月分の締め切り  2月末日
内容は
地域情報の提供
質問コーナー
資料の紹介
運営・企画への提言
など何でも結構です。

会誌・会報の原稿の送り先、会誌のバックナンバー希望者は事務局長の島野穣 氏まで

閉会挨拶及び記念撮影

(報告者:馬原浩一)