日時 2004年1月25日(日) 13:00~16:00
場所 大阪市立アピオ大阪 307号
当日の参加者は19名でした。
この日は朝から雪が降り、昼には止みましたが悪コンディションの中、会場近くの大阪城公園周辺では大阪女子国際マラソンが行われ、応援旗を持ったまま会場入りした人もおられました(笑)。
講演 『畠山氏族築館氏系 阿保氏について』
講師 阿保 正雄氏(本会会員)
ピアノの教師のかたわら自家の家系調査をされている。
恩師は横井小楠の曾孫でとても怖い先生。また作曲家の宮川泰氏とは旧来からの親友とのこと。
講演の概要(私が覚えている範囲で簡単に紹介)
藩主津軽氏について
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- 津軽地方は鎌倉時代北条得宗家の領地で被官の安東氏や御家人の曽我氏が活躍。
- 南北朝時代以降は南部氏が台頭し、その一族といわれる津軽氏が戦国時代の混乱で独立し、江戸時代津軽藩として存在した。
- 津軽独立の際に秀吉の側近の石田三成が尽力してくれたので、関が原の戦いの後、藩主信義の室として石田三成の娘を迎え、後にその兄を家臣として迎えた。
- 山鹿流の兵学を奨励し、山鹿素行の一族を重臣に取り立てている。
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畠山氏族築館氏について
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- 足利一族の畠山大炊助義忠は甲斐に所領を持っていたが、室町時代にその子忠弘は甲斐より陸奥に下った八戸南部氏に従って陸奥に入り後に津軽氏となる大浦氏に属します。孫の忠次の時に築館氏を名乗るようになる。
- 江戸時代初期築館氏は200石で家老並となるが、万治年間(1658~1660年)居宅より失火しその責を負い半知100石に減されるが中級家臣として幕末まで津軽藩士。
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阿保氏について
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- この築館氏の分家筋に当たるのが阿保氏で、寛政年間以前には存在していたようだが、築館本家との関係は不明。ただし、家伝で築館勝三郎、阿保省三、寺井例泉が兄弟であったとのこと。
- 明治初期は85俵の家禄で阿保忠助景貞は廃藩置県後リンゴ園を経営し大成功し財をなした。
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これらの概略は会誌『家系研究』第36号の「私の先祖探し」の中に書かれていますので、参加できなかった会員の方はそちらをご参照ください。
その他諸々
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- 息子さんが某大学の教授?だそうで、色々と調査の手助けをしてくれて、インターネットでわざわざ阿保氏(安保氏)の情報を調べてくれた(良い息子さんだ!)。
- 阿保氏の名前の由来は秦の始皇帝が築いた阿房宮である(ほんまかいなぁ?)。
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事務局からの連絡
(1)新たに4名の方が会員登録され、会員数は142名となりました。
沖縄県から初の会員が誕生し、これで全国47都道府県を制覇できました。
(2)2年前に若くして亡くなられた故小村克巳氏のご尊父小村益夫氏によるエッセイ『息子よ』を当会と大阪歴史懇談会で共同刊行しました。B5版35頁。息子を思う父親の心境を書き綴られたものです。
ご希望者は事務局長の島野さんまで連絡ください。
(3)当会のシンボルマークを応募しまして、当日の参加者により投票で決めました!
と言いたい所でしたが、図案はほぼ決まったのですが、中に入れる文字をどうするかという問題が新たに発生し、次回4月の総会に参加者により決めることになりました。
(4)会員の花岡氏よりの提言
1.会員間の情報交換をもっとできるようにしたい。
⇒質問項目などを会報に載せ広く会員に見てもらうようにしています。
2.会員数の倍増計画を立案しませんか?
⇒大阪近郊の人には例会への体験参加を促し、遠方の方にはホームページでの例会他の報告を充実させる。強制的な勧誘はしない。
3.会員共有の図書館みたいなものは作れないか。
⇒場所の問題、管理の問題があるが、次年度の活動に組み入れてみましょう。
4.ご年配の方で、資料を多くお持ちなのだが、その方が亡くなられた場合、その資料の逸散が大変残念だ。
⇒3.の活動に関連すると思われるので合わせて対応を検討したい。
(5)会報の原稿募集
発行は原則として年4回の例会日になりますので下記のとおりお願いします。
2004年 4月分の締め切り 2月末日
2004年 7月分の締め切り 5月末日
内容は
地域情報の提供
質問コーナー
資料の紹介
運営・企画への提言
など何でも結構です。
会誌・会報の原稿の送り先、会誌のバックナンバー希望者は事務局長の島野穣 氏まで
閉会挨拶及び記念撮影
(報告者:馬原浩一)