家系研究協議会 平成17年度夏の例会報告

日時 2004年7月25日(日)  14:30~16:00
場所 大阪市立アピオ大阪 302号
当日の参加者は43名、うち一般参加は何と!31名でした(こんなことは初めて!)。

講演 『浅井長政とその妻お市とその周辺』

講師 廣田康夫氏
元、甲南大学教授で、現在は小西酒造の白雪長寿蔵ミュージアム館長をされています。

概要(私が覚えている範囲で簡単に紹介)

1.浅井は「あさい」ではなく「あざい」

 最近よく言われているので私も知っていましたが、琵琶湖周辺の地名を見ると、小谷(おだに)、小浜(おばま)など濁点の付く読み名があり、この地方特有の地名の名付け方ではないかとのこと。

2.浅井氏研究の第一人者は・・・

 浅井氏を研究している人は意外にも少なく、テレビでお馴染みの静岡大学の大和田哲男教授が第一人者だそうで、『戦国三姉妹』『近江浅井氏の研究』などの著書がある。
その他には、京都女子大学の笹川祥生教授が『戦国武将のこころ』という本を出されている。

3.浅井氏の出自と戦国大名化

 「浅井三代記」などによれば、公家の正親町三条公綱が勅勘を受けて近江に流されて、現地の娘との間にできた子が浅井氏を名乗ったとあるが、『公卿補任』などによれば、公綱が勅勘を受けたという記録が無く、後世の作り話であろうとのこと。
他にも様々な出自の説があるが、今のところ定説にはなっていない。
北近江は京極氏の支配であったが、戦国時代に入り、重臣の上坂氏が台頭し主家を押しのけ専横するが、それに反発した浅見貞利らが上坂氏を追い払い、さらに浅見氏の専横により旧主家の京極氏を擁した浅井亮政が最後は北近江を治めることになる。

4.浅井長政の父久政

 軍記ものには、かなり悪いイメージで表現されているが、久政の時代に用水の確保・分配を手がけ、領地での評判は逆に良かったようで、治政は優れていたが、戦(いくさ)はからっきしダメだったようで、六角氏の支配下に組み込まれてしまった。

5.浅井長政とお市

 六角氏の重臣平井氏の娘を妻とし、六角義賢より「賢」の字を賜わり賢政と名乗っていたが、六角氏から独立を計り、父久政を隠居させ、近江野良田で倍以上の六角軍を打ち破り、独立を果たす。
この戦いで長政の武将としての器を見込んで織田信長は妹お市を嫁がせた。
高野山持明院に浅井長政・お市の肖像画があるが、書かせた人の名は有人(あるひと)ということになっているが、恐らく持明院再興に力を注いだ豊臣秀頼の母淀殿だったのではないか。

6.浅井長政の子女

 三姉妹のことは有名なので省くが、その他にもお市の子ではないが、妾の子として『浅井系統一覧』は四人の男子を記している。万福丸は処刑されたはずだが生き延びたという説があり、喜八郎長明は大坂の陣では大坂方となり、のち京極家を頼って家臣となったとのこと。

講演中の廣田先生

講演の風景

7.木下(豊臣)秀吉による勧誘工作

 実際に工作を行ったので秀吉ではなく、この頃軍師となった竹中半兵衛であったと考えられる。
半兵衛は美濃不破郡に居城があり、近江に非常に近いため適任であったと思われる。

8.余談ですが・・・

  講演後の「お疲れ様!二次会」で廣田先生の隣になったので、何で甲南大学教授から今の白雪長寿蔵ミュージアム館長になれたのですか?と聞くと。大学の教え子が小西酒造の関係の方だったので、頼まれて就任したとのこと。なるほど・・・・

事務局からの連絡

(1)9月10日(土)に当会、創立25周年記念大会を行います。
講師は、『武功夜話』の全訳された吉田蒼生雄氏です。演題などは未定ですが期待できる展示会を行う予定。

(2)会誌の原稿募集
創立記念大会には会誌『家系研究」第40号を発行予定です。原稿は7月末までに事務局まで。

(3)会報の原稿募集
発行は原則として年4回の例会日になりますので下記のとおりお願いします。
2005年 9月分の締め切り  8月中日
2006年 1月分の締め切り 12月中日
内容は
地域情報の提供
質問コーナー
資料の紹介
運営・企画への提言
など何でも結構です。
会誌の原稿もよろしくお願いいたします。

会誌・会報の原稿の送り先、会誌のバックナンバー希望者は事務局長の島野穣 氏まで

閉会挨拶及び記念撮影

(報告者:馬原浩一)